陶芸記録
しばらくぶりの陶芸記録。
そうそう、こんなの作ったなぁ、というものから
毎日使っているものまで。

陶芸2

陶芸1

陶芸3

陶芸4 

陶芸5

陶芸6 16cm

陶芸11 11.5~13cm

陶芸8

陶芸9 18cm

3枚セットのはずが・・・
じゃーん、ガーン!

釉薬をきちんと混ぜていなかったのね、多分。
己のがさつさを反省。

失敗からしか学べないこと多し。

陶芸10

Posted by 船長
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少年ジャズ
モシェ宅での独立記念BBQから戻った夜、
外からジャズのライブが聞こえてきた。
(我が家の前の通りでは、時々ストリートジャズが
聴けるので、我らハッピーである)

ササッと海のシャワーを済ませ、音の鳴る方へ。
今日は徒歩1分の歩道カフェの前だ。
近づいてみると、わぁぉ。
少年たちじゃないか!

少年ジャズ1

これがとても上手くて、聴かせてくれる。
いやぁ~、大したものだ。

彼らは、私たちがひいきにしているジャズマン達が
卒業した音楽学校の後輩だということだ。
15歳の彼らの音は、何というか、とても素直に
心に届いてきた。
勢いがあって、そしてとても綺麗なのだ。

少年ジャズ3

少年ジャズ2

力を出し惜しんだり、コントロールしたりせず
余計なしがらみも知恵もついてない、
僕らの音楽を聴いて欲しい、見て欲しいという
若々しくのびやかな情熱みたいなものが
音の響きとなって伝わってくるんだわ、きっと。

連休中イベントが続き、ずいぶん寝不足だった海、
1時間じっくり聴いた後でも、終わるまで外で見たいと
夢心地のまま眠りに落ちた。

夜も暖かくなってきた。
また、わくわくする季節が始まる。


Posted by 船長
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独立記念日
戦没者記念日の翌日は独立記念日である。
イスラエルの祝日は、ユダヤ暦を用いるため
西暦でいうと毎年違う日になる。そして、
ちょっとややこしいのは「日没から数える」こと。

今年は18日の日没から19日の日没が戦没者記念日で
19日の日没から20日の日没までが独立記念日だった。

19日、しんみりした戦没者記念の日が暮れると、
喜びに満ちた独立記念日にガラリとかわるのだ。

        街中、国旗
独立記念6
独立記念2
独立記念8
独立記念1
独立記念5
独立記念7


この夜も独立記念日を祝うイベントが
各地で行われた。
我が家はエルサレム在住の友人宅に招かれ、
のんびりと美味しい料理をいただきながら、
ベランダから花火を眺める、という
どうしたって笑顔になってしまう贅沢な夜を
過ごした。

時々ふっと、
「今、私はエルサレムにいるんだ」と思い出して、
不思議な気持ちになった。
昔の地図の中にしか存在しない街にいるような気持ち。

「エルサレム」って私の中でちょっと特別に響くのだ。
宗教とは関係ないところで。

時間差であちらこちらで打ち上げられた
「忘れた頃に現れる花火」を日付が変わるまで
堪能した。

(翌日はイスラエル中で恒例の独立記念BBQ)

Posted by 船長
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戦没者記念日
日曜日の夜、イスラエル各地で戦没者記念の
式典が執り行われた。

海の通う幼稚園は小学校に併設されているのだが、
その学校の校庭でも戦没者記念の式があった。
小学生による式である。
シャワーを浴び終えた海から式のことを聞き、
海もどうしても見てみたい、
何をするのか知りたい、と言うので、
3人で白い服を着て、19時45分からの式に
参加した。

ステージの横には合唱隊がいて、歌で式が始まった。
ステージ上の幕には戦没者の顔が次々に映し出され、
その前で小学生たちが詩を朗読し、踊りを舞った。
子どもの細い声には、清らかな力があった。

戦没者記念2

戦没者記念3

20時には、イスラエル国内一斉に静かなサイレンがなり、
皆が立って黙祷をささげた。
1時間半にも及ぶ式は、終始悲しみに包まれたというか、
悲しみを忘れまいという空気のまま終わった。

戦没者記念1
戦没者記念4

       その日幼稚園では服にこんなシールが。
       「記憶せよ」


その1週間前がホロコースト記念日だったのだが、
海は幼稚園でずいぶんホロコーストについて
学んだようだ。

「エイタンのおじいさんはそれで死んだんだよ。
 でも、ネタのおじいさんはそこに行ったけど
 死ななかったんだよ。」
と、ホロコーストは非常に身近な出来事なのだ。

「船長、どれくらいの人が死んだか分かる? 
 あのね、うーんと、600人、あれちがう、なんだっけ
 えぇっと、600まん人死んだんだよ。」

海が百万という単位をはじめて使った日となった。
 
Posted by 船長
category:イスラエル系
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消しゴム
エジプトから帰って二日目のこと。
絵を描いていた娘の筆入れを何気なく見ていたら、
突然、時間のトンネルをくぐりぬけた。

消しゴム2

わぁー、これ!

小学校4年くらいの時に使っていた消しゴム!
うわわわ、胸がきゅぃんとなる。
思わぬ再会にドキドキしてしまう。
授業中ノートの隅にこの絵を真似て描いたりしたなぁ、
黄緑とオレンジ(消しゴム下の色)の組み合わせも
大好きだった。
きゃー、懐かしい。

消しゴム

実家のどこかで見つけ筆入れに入れていた私の母、
そしてその消しゴムを海が気に入って、
イスラエルの地で、母から海へ渡ったのだ。

消しゴムとしてきちんと現役なのも嬉しい。
(数ある海の消しゴムの中で、一番よく消える)

消しゴムトンネルをぬけて、
思い出がどんどん溢れてきた。
教室から見えた風景とか、
友だちと書いてた交換日記の事とか、
密かに憧れていたこととか、
毎日明け暮れたバレーボールのボールの感触とか、
運動場の天井の穴の形とか、
先生から言われた言葉とか、
今まで全く思い出さなかったようなことも
消しゴムについてきた。

私の中では10歳の私も生きているようだ。
10歳の私は、海の気持ちをうまく理解してくれそうだ。
この再会、
なんとも不思議で面白くて頼もしい。



Posted by 船長
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小さな私と
一昨日、空港までゲスト(じんじんとばんばん)を送りに行った。
2週間以上を共に過ごしていたので、空いたソファーや少ない
洗濯物がやけに目に付く。
急に広くなった家の中、今は3人という単位が寂しい。

滞在中に、みんなでエジプトへ旅行をした。
私が初めて「ここに行ってみたい、この目で見てみたい」と
思ったのは、ピラミッド。
まだ小学校に上がる前で、5歳か6歳のくらいの時だ。
その後何年かして、誰かがピラミッドに上っている映像を
テレビで見て、もう絶対に私も登りたいと胸が高鳴ったのを
よく覚えている。

大学生になり、自分で旅をするようになると
世界的な一大観光地であるピラミッドは
どうも色あせて見えるようになった。  
ピラミッドの魅力よりも、大型バスの団体旅行客が
大挙して押しかける超有名観光地への嫌悪感の方を
強く感じていたのだ。

カイロまで飛行機で1時間ほどのテルアビブでは
いつでも行けるという安心感のもと、
なかなか実現させずにいたエジプト旅行。
ひょいと巡って来たこの機会に、
私は、ちょうど海くらいの「小さな私」を
一緒に連れて行った。

むくむくと膨らんでしまう期待、
20年前に一度ピラミッドに行ったことのある
博士の言葉をきいて、
なるべくセーブしつつエジプトへ飛んだ。

目の前にそびえるピラミッドは、しかし、
あまりにも美しく、大きく、圧倒的だった。

超有名観光地がどうのこうのと思っていた頃の自分が
恥ずかしく感じるくらいにピラミッドは何もかもを
超えている。
私はしばし、本当にどうしていいのか分からないまま
近づくこともできずにいた。
そんな時ひょっと、無邪気に喜んで走る海の姿が
目に入り、私の中の小さな私が駆け出した。

ピラミッド2

小さな私と私、一緒に2段ピラミッドを登った。

    (そして注意された。今は上がるとダメなんだって!)

ピラミッド


Posted by 船長
category:徒然  系
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