バイブル
ふと立ち寄った本屋さん。
何とはなしに、棚に並ぶ本を眺めていたら、
あれ、あの背表紙・・・

うわぉ、私のバイブル、ヘブライ語版を発見!

ネコ本ヘブライ語

ネコ本
     ヘブライ語、右から左に書くからかな、絵も逆。

今年出たばかりのよう。
日本語版にはない、20ページものオマケつき。
いゃっほ~

オマケページ

さぁ、勉強でもしましょ!

Posted by 船長
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コーヒー
コーヒー好きである。
大学時代からほぼ毎日コーヒーを飲んでいる。

病気のとき以外で、飲まなかった日は、今でも
数え上げる事ができるくらい少ない。
タイの山岳民族のところに泊まったりして、コーヒーが
手に入らない場所にいた時と、妊娠中だけ。

妊娠前には、コーヒーが飲めないストレスに果たして私は
打ち勝てるのか、と非常に心配していた。
しかし、人間の体というのは、よくできているものだ。
19歳から突っ走ってきたコーヒー人生で、初めて「コーヒーを
飲みたくない」と思ったのである。

自分でも知らない自分の体の合理性に驚き、ほとほと感心した。
頭で考える心配なんぞ、簡単にひょいと超えてしまう不思議な
仕組みが備わっているようだ。

さて、イスラエルにおける私の身のまわりのコーヒー事情。
6年前、イスラエルの砂漠の入り口の都市にいた時は、
コーヒーといえばネスカフェ、又はアラビアコーヒーという
感じだった。
(アラビアコーヒーとは粉にお湯を注ぎ、粉が沈むのを待って
その上澄み部分を飲むコーヒーのこと)
そのため、コーヒー豆探しは簡単ではなかった。
やっと一軒見つけたインド人経営のお店が、その町では
コーヒー豆を売る唯一の店だったかもしれない。

今住んでいるテルアビブでは、カフェはあらゆるところに
あるし、コーヒー豆も苦労せずに手に入る。

しかし、重要なものが見つからない。
コーヒーフィルターだ。(そしてもちろんドリッパーも)

イタリア系のコーヒーが人気のイスラエル。
エスプレッソやカプチーノは得意だけど、日本で言ういわゆる
普通の透き通った「コーヒー」には実はなかなか出会えないのだ。

最初は、諦めて持参のマキネッタでエスプレッソを入れていた。
でもやっぱり恋しい、あのくるくるとお湯を注いで、香りを楽しみ
ながら入れる、あのコーヒー。

結局、母に頼んでドリッパーを送ってもらい、スーツケースの
端っこに入っていた使いかけの一箱のフィルターを、大事に大事に
使っている。
貴重なフィルター、もちろん1回で捨てたりしない。洗う。
コーヒーフィルターって、見た目より骨がある、けっこう
タフなヤツなんだ。 見直した。

「ない」ということは、いいこともあるね。
対策を考えるし、モノを大切にするし、隠れていた価値に
気づいたりできるからね。
Posted by 船長
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クムクム
イスラエルでは、やかんは日陰モノだ。
どこの家に行っても、やかんはまず見かけない。
もちろん我が家にもない。

イスラエルの電圧は250V。(参照:直ってほしい
我が家の弱々しく優しいプロパンガスより、
電気の方が、強くて早い。

そんなわけで、お湯を沸かす役を一手に
引き受けているのが、これ。

kumkum.jpg

電熱線湯沸かし器。
名前は「クムクム」
かわいい働きモノなのだ。

そういえば、高校3年の秋に、友人数人で
お昼休みに体育館のステージ上の隠れたところで
「お茶会」をしていた時期があった。
お茶会って言っても、ただステージの幕の裏で、
普通の煎茶を飲むだけなんだけど、
ちょっとした自分達だけの異空間を作りだし、
その中で飲むお茶、やけに楽しかった。
その時に使っていたのが、小さな電熱線の
湯沸かし器だったなぁ。
あ~、懐かしいっ! 
クムクムなしじゃ、このキュンとする思い出も
心の奥から取り出されることがなかったかもしれない。

数珠つなぎのように、どんどんあふれ出てくる
高校時代の思い出の数々。
あの高校時代は特別だった、本当に。
あぁ~、こんなに心がいっぱいのまま寝たら、
夢で制服着てるかな~?
Posted by 船長
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道中
我が家から死海への道中はこんな感じだった。

テルアビブからエルサレムを通って死海へ向かった。
死海の北端に着くまで、2時間もかからないが、
いわゆる「都会」のテルアビブとの物理的な距離より、
その道中の景色はかけ離れる。
道端に放牧されたらくだがいたり、ベドウィンの家があったり。

ベドウィンの家

ベドウィン親子

らくだ お客を待つらくだ


「死海でキャンプ」といっても、死海はずいぶんと広い、というか南北に長い。
イスラエルとヨルダンに挟まれた死海、おそらく60~70㎞位(長さについては
50~80kmまで様々な記述がある)

キャンプ地のアドバイスをもらうために、博士が友人のドゥロンに
6年ぶりに電話をすると、何と、今まで死海で2泊キャンプをしていて
これから帰るところだという。
途中で落ち合い(6年ぶりの再会!)、廃墟でコーヒーブレイク。

dron.jpg
                古代人化したドゥロン
dron カフェ2


キャンプ地はやはり南が良さそうなので、死海沿いに南下していると、
突然、死海が途切れ陸地出現。今まで、南側しか行ったことがなかったから
前に聞いたことはあったけど、忘れてた。
頭だけで知っていたことって弱い。
目のあたりにしてやっと、その砂漠化した土地の広さに驚き、
こんなふうに死海がなくなっていっていることにショックを受けた。

水路
                 水路とはいえ、死海の色はこの通り!

死海は年々干上がり小さくなっていて、今や、北と南に
分かれてしまっているのを水路でつないでいる。
つながないと南側が危機とのこと。
今後の対策に期待しよう。
頑張ってくれ、ヨルダンとイスラエル!

でも、皆さん、今のうちに来るのが確実。

道中のいろいろ。
経験がないからこそ、海だけが感激できるものもあり、
経験を積んだからこそ、博士と私の心にグッとくることもあり。

ここのところ、実はちょいと心が疲れていた。
でっかい自然を目の前にして、まっすぐ立つ。
これだけで、自分の中のバランス感覚が戻ってくる。
心の中に透明な空間が広がっていくような余裕の部分が、
自然と生まれてくれる。

でっかい自然と、そして、隣に分かち合う人がいることに感謝。
Posted by 船長
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初キャンプ
死海でキャンプをしてきた。

イスラエルで好きな所は数々あれど、
私にとって死海は別格。

娘にとっては人生初の死海。
そして、その死海で人生初のキャンプ!


・・・・・のはずが。

テントたて

テントに入る

テント

出発前夜、試しにたてたテント。
その魅力に引き寄せられ、朝まで熟睡。
人生初、死海まで待てず、ホームで。

Posted by 船長
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スコット
イスラエル、ただいまスコット中。
月曜日から幼稚園や学校は、親泣かせの10連休中。   

スコット(仮庵祭)とは、今週火曜日から7日間続く祝日で、
この期間中は、「スカー」と呼ばれる仮小屋を建て、その中で
祈ったり食事をしたりする。 
ちなみにスコットとは、スカーの複数形。

ここで重要なのは、このスカーは掘っ立て小屋でなければ
ならないということ。
そして、スコット期間中は大いに楽しむ、ということ。

なぜ簡易な小屋かと言えば、
エジプトを脱出し、モーセに率いられたユダヤ人が、約束の地を
求めて、40年間荒野をさまよった時代を偲ぶため。

流浪する民の住処は、立派ではいけないのだ。
 
ナツメヤシの枝で作る屋根。上空を見上げ、その枝の隙間から
星を眺めるのだという。古代の民のように。
なんて、ロマンチック!
スコットって素敵!

                  我が家の通りのスカーいろいろ。
スカー2

カフェのスカー
              
diada スカー

スカー1

 ショッピングモールのスカー ショッピングモール内にも。



ふと、よみがえってくる記憶があった。
小さな頃、お兄ちゃんと二人でかまくらを作ったこと。
何時間もかけて、やっとできた小さなかまくら。
体を思いっきり折り曲げて、なんとか二人で入れたかまくら。
おにぎりやみかんを持ち込んで、二人で小さくなって食べたけど、
窮屈すぎて、すぐに外に出て、大きく息を吸ったよね。

笑いながら見上げた空、星の色まで見えたんだよね。


Posted by 船長
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まるお
まるおは何者か?
というコメントの質問にお答えして。

イスラエルの有名デザイナーによって作られた「あひる」。
一般にまるおとは呼ばれていない。

私たちのイスラエル到着の1ヶ月くらい前(4月)から市庁舎の上に
ひょっこり現れた。ほんの短期間のはずが、あまりの居心地のよさに
長居したらしい。

まるお新聞 
                    『まるお、特別市民となる!』 
                        10月6日の新聞より

そもそもは、みんなを上から見守っている「まもる」だったのだが、
いつの間にか「まるお」になっちゃった。
(一般にまもるとも呼ばれていない)

Posted by 船長
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乾季去る
明け方、雨の音で目が覚めた。
見れば、かなりの土砂降り。
外に干していたスリッパも、窓が開いていた2階のトイレの
床もびしょびしょ。

イスラエルに来て5ヶ月。
雨に濡れるということも、天気予報という存在も
忘れてしまっている。
これも順応性の高さというべきか?

朝には止んだが、今日は2度目の降雨だった。
初雨は9月27日。
短時間だったけど、空気は透明感が増し、
車は見違えるほど汚くなった。

そして、市庁舎の「まるお」は、乾季と共に去ってしまった。
(去る直前に、テルアビブ特別市民となる)

maruo1.jpg
maruo3.jpg



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モシェ
土曜日は友達に会うことが多い。

イスラエルでは週末といえば、金曜と土曜。
博士の休みは土曜と日曜。
土曜日はお店や施設もお休みだし、友達と会う日に最適なのだ。

イスラエル到着後、すぐに家に招待してくれたネタ(参照:マンゴー)の
次に遊びに行ったのがモシェの家。
車のなかった私たちを、ホテルまで片道45分かけて迎えに
きてくれて、ホテル生活に少々疲れていた私たちに
得意の手料理をたっぷり振舞ってくれた。
至れり尽くせりでのんびり過ごした後、私たちよりも
嬉しそうな顔をして送り届けてくれた。
 
モシェはそんな粋なヤツなんだ。

その後、なかなか会えずにいたが、先日博士が電話を
すると、
「ちょうど呼ぼうと思ってたところなんだ、鶏も飼い始めたし、
 畑の野菜もいっぱいあるから、家にゆっくりしに来いよ」

そんなわけで、またモシェの家へ。

コーヒー
moshe、コーヒー  食後のコーヒーも炭火で。

お土産  

これ食べてみろ、これもおいしいぞ、と手作りのものが
いろいろと出てくる。
そして帰りは、お土産に畑で採れた野菜。
そういえば、前回ももたせてくれたなぁ。

「実家のおかあさん」みたい、モシェ。

Posted by 船長
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ヨム・キプール
新年を迎えた後には、祝祭日が続く。
10月は、幼稚園もウルパンも半月は休みとなる。

一昨日の日没から昨日の日没後までの約25時間は、
ヨム・キプール(贖罪日)という祭日だった。

ウルパンの先生による簡単な説明はこう。
ヨム・キプールには、白い服に身を包み、断食をして、
神や自分自身と向き合い、神に祈りをささげ、
犯した罪の赦しを請う日。
とても特別な日なのよ。車は運転しちゃダメよ。

なるほど。特別なんだったら、郷に入れば郷に従え。
我が家でも、断食以外はやってみよう。
これを機会にシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝をする建物)にも
行ってみよう。

普段、それほど宗教的な生活をしていない人でも、ヨム・
キプールだけは、シナゴーグでお祈りをしたり、断食を
する人は少なくないようだ。
友人のネタ家族も、健康のために断食をすると言っていた。

シナゴーグ内
                 シナゴーグ内は男女別。男性はキッパが必要。
                 頭にキッパをつければ、ユダヤ教徒でなくても中に入れる。

ヨム・キプール = 断食の日 というイメージがあるのか、
博士が読んでいた一昨日の新聞には、「断食だけではない」と
いうタイトルで5つの禁止事項が挙げられていた。
1)飲食
2)シャワーを浴びる
3)肌にクリームなどを塗る
4)ベッドを共にする
5)革靴を履く

へぇ~。ダメダメ行為はもっとあるんだ。
クイズの問題にしたくなるような内容が並んでいて面白い。
じゃ、これにも従ってみよう。

そして、ヨム・キプールの間は、道路から車が消えた。 
空港は閉鎖し、飛行機も飛ばない。
テレビもラジオもお休み。
もちろんお店はどこも開いていない。

外に出ると、動く鉄の塊はなく、人々が(私たちも)この時と
ばかりに、大通りの真ん中をにこやかに歩いている。

ディーゼンゴフ

大通りヨムキプール
               
大都市から車が消える光景には、おぉ~、と叫ばずには
いられなかったけれど、それより私がビックリしたのは、
その静寂とすがすがしさだ。
時折聞こえる笑い声や話し声はあれど、騒音が一切ない。
車が一日走らないだけで、空気はこんなにきれいになるのか。

生きている都市から、この静けさを生み出す。
この行為の根底にみなぎるエネルギーのようなものを
じわじわと感じた。

なんと、スケールの大きな「休日」!

片道4車線の交差点の真ん中に立つ。
ぐるりと周りを見回して、きれいな空気をふぅ~っと
吸い込んだら、いつもよりずっと遠くまで、
澄みきった風景が見えてきた。
Posted by 船長
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日記
5年日記をつけている。

日常生活の中でつける日記は、これがほぼ初めてだ。
スタートは一昨年の11月10日。
記念日でもなんでもないけど、思い立ったが吉日、
買ったその日から付け始めた。
この非常に半端なところから始まったのが、
肩に力が入らずよかったように思う。
予想に反して、すんなり続いている。

そして、去年の11月10日から、この日記をつける
作業が俄然楽しくなった。正確には、日記をつける
作業ではなく、日記を開くのが楽しみなのだ。
2年目になると、同じページの上の段に、1年前の
同じ日の出来事が記されているからだ。
最初の1年間は、ひたすら土を耕して、種を蒔いて
いたのだと、2年目にその花が咲きだして初めて
分かる。

diary.jpg

たいしたことは書いていない。長くもない。
しかし、それでもその数行のおかげで、1年前の様子が
かなりはっきりした映像として、浮かんでくる。

1年分時間を遡った娘に懐かしさを覚え、
月日の流れの波に乗り切れていない自分には
ガックリしたり、ホッとしたり。
見てもドンドン忘れてしまっていた映画や本も
名前を記しただけで、また色を帯び、
1年前に感じ、考えた事に対して、時のトンネルを
くぐった後で、向き合える。

中でも好きなのは1年を経て、再会する海の言葉。
日記がなかったら忘れてた、きっと。

保育園に向かう自転車で。
「みかちゃんの家には、洗濯機がないのかなぁ?
 だって、スカートがいっぱいあると思うんですけどー」

Posted by 船長
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アラブの村
新年の一泊小旅行の話が続いてしまうが、
この旅行は短いながら、テルアビブの生活では
味わえない体験が多々あった。

マザールとビニエの家に到着する前に、少し予定の
時間より早かったこともあり、すぐ近くにある
人口3000人ほどのアラブ人の村に寄ってみた。
前から行ってみたいと思っていた場所だ。
博士が17年前、ボランティアとして働いていた時に
一緒にバナナ畑で働いた数人がこの村の出身なのだ。
ヘブライ語をまだよく話せない者同士の、強い絆が
あったという。

村に入っていくと、看板の文字、聞こえてくる音楽、
人々の話す言葉、全てがガラリとアラブの世界に変わる。
今年は、ユダヤ暦の新年とイスラム暦の
ラマダン明けが偶然にも重なった年。
子ども達が、とても華やかな服を着て、嬉しそうに
外に出て来ている。
なんたって、ラマダン明け。
お祝いである。一張羅を着る日である。

特別な何かがあるわけではない、小さな村。
17年前の博士以外に、日本人はもとより、外国人が
その村の中に入っていった事があるのかどうかは
分からないが、日本人が非常に珍しい事は確か。
私たちを見つけ、もの珍しそうに「ハロー、ハロー」と
近づいてくる、少し離れて恥ずかしそうにこちらを
覗いている、どちらにしても興味津々の子ども達。

小さなお店が開いていたので、車を降りて話しかけると
ウェルカムと言いながら、エナジードリンク(ほぼ
オロナミンC)を差し出してくれた。
ラマダン明けだ、景気もいい。
お祭り前、わくわくと胸をおどらせている様子が
子どもからも大人からも感じられる。

mise  hakase

お店の人に、一緒に働いていた人たちの名前を出すと、
隣にいた人が「知ってる知ってる、ついて来い」と
すぐに家まで案内してくれた。
そして博士、17年ぶりの再会!
おぉ~と硬い握手、抱擁を交わした後は、昔の話、
今の話に花を咲かす男達。

roni arab

彼らはヘブライ語の環境で仕事をしているため、
ヘブライ語も話せる。子ども達はアラブ人の学校に
通っているのだが、小学2年生から、ヘブライ語を
習うとのこと。

男性軍が盛り上がっているので、私はその家のシャイな
女の子達に近づいて、まずは笑顔のやり取り。
最初からこの村に来れると分かっていれば、ほんの片言の
アラビア語だけでも覚えてきたのに。残念。

2 girls
girl and mama

それでも、子どもっていうのは、言葉を使わなくても
気持ちをどんどんキャッチしてくれる、前向きに歩み寄って
くれることが非常に多い。
女の子たちと海と私、一緒に笑ったり、笑われたり。

笑顔とカメラとジェスチャー、そして気持ちをプラスして。

miokuri.jpg

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おばあちゃん
結婚して、私にはおばあちゃんが二人もできた。
イスラエルのマザールと日本のあーちゃん。
大人になって、こんなプレゼントがあるとは、
全く想像していなかった。
おばあちゃん。 あぁ、嬉しい!

北部の村での新年。
今回はマザールとビニエの家に1泊した。

家の中の雰囲気も、飾ってある数々のものも、
マザールもビニエも、17年前に初めて来た時と
ほとんど変わらない、という博士の言葉。
うん、うん、そうだろう。
17年前なんて、ついこの間のはずなんだから。
おじいちゃんおばあちゃんの家って、だからいい。

写真を見ると、マザールは昔から、
かわいいおばあちゃんの顔をしている。
初めて会った時から、あまりにもすっと、
懐に入っていけたので、
それまで遠く知らない存在だったのが、
記憶違いかのように感じる。
私と海がひょっこり、仲間入りした事も
気づいてないんじゃないか、と思っちゃうくらいだ。

ちょっと変わり者で独特のユーモアのあるビニエと
かわいいマザール。
互いに思いやり、笑顔で過ごしている老夫婦というのは
この上ない人生の見本だ。

binie.jpg             
                                ビニエ

よく食べる私たちを見てはにこにこ。
「トダ(ありがとう)」という海の小声ににこにこ。
海が恥ずかしがって隠れていてもにこにこ。

深いしわがつくる笑顔は、赤ちゃんの笑顔よりかわいく
優しく温かい。

あぁ~、おばあちゃんって大好き。
どこを押しても、じわじわと愛情が出てくるだもん。

mazar change


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ドゥルーズ
一昨日、新年を祝うため北部の村へ。

途中、道端でドゥルーズ・ピタという小さな看板を発見。

ドゥルーズ
                   クレープ状のパン

味はというと、
サワークリームが味がとても濃くて、味覚は全て
サワークリームで占領されてしまった・・・残念。
でもパンの部分は噛みごたえがあり、とてもおいしい。

ドゥルーズ02
                   サワークリームの上にはザータという香辛料
                   そしてこの上にオリーブオイルをかける

ドゥルーズ族とは、イスラエル北部とシリア、レバノンに
住んでいるアラブ系の少数民族。聞いたことはあれど、
目にするのは初めてだった。

ドゥルーズ派はイスラム教の一派と言われているが、数多い
宗派の中でもかなりの少数派であり、異端。
なんたって、コーランではない独自の聖典を持ち、
アッラーではなく、ハーキムという人物を神として崇拝している・・・

??? コーランでもなく、アッラーでもない ???
それって、イスラム教っていえるのかい?
社会の授業で習った枠からは、思いきりよく外れてる。

まぁ、とにかく、ドゥルーズは密教で、異教徒や他の
宗派との婚姻はせず、奥義などは長老のみが受け継ぐ
ものであるようで、実態はよく分かっていないらしい。
かなり興味深い、謎の民族だ。

それでもって、その謎の民族ドゥルーズの人々は、
イスラエルのパスポートを持ち、イスラエルの兵役にも
多くの人は就くという。
(イスラエルの兵役は男女とも18歳から。男性は3年、
 女性は2年。アラブ人には兵役の義務はない。)
 
ユダヤ人国家として60年前に建国されたイスラエル。
しかし、イスラエル人=ユダヤ教徒ではない。

四国ほどの大きさしかない国の中で、
イスラム教徒もキリスト教徒も、そしてドゥルーズの
ような少数派の人々も混在しているのだ。
それぞれが、それぞれの慣習を守りつつ。 


次の日、ドゥルーズ族の村にも行ってみた。
道端パン売りのおばさんは、Tシャツを着て、頭も
カチューシャと超ラフな格好だったけど、この村では
右を向いても左を向いても、対向車の運転手を見ても、
「うわぁ~」と言いっぱなし。
ほんのさっきまでイスラエルだったけど、ここは一体
どこの国なのだ?

独特な宗教的服装(男性は黒の詰襟の上着にひざの辺りで
足が分かれているズボン)に、独特な白い帽子をかぶる人々が、
普通に生活をしていることに、かなり興奮した。
こうやって、生活の基盤にどかっと宗教が入っている人々は、
腹が据わっていて、潔い顔に見える。

それだから、大変なこともあるのだろうけど。
Posted by 船長
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